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処刑人模造肉

この作品について

コミティア141(2022年9月4日開催)にて頒布

丸得基地の旨味まづさんとのコラボ企画になります。

同じ題材(「処刑人」「ブロマンス」等)でそれぞれ

一本ずつ物語を作り、それをイラストのみ・小説のみで

表現した本を二冊セットで販売します。

ストーリー

両親が処刑された恨みで処刑人一族を虐殺した

少年ヨナは、その血溜まりの中で天使のように

白い男と出会った。現場に駆けつけアダムと名乗った

青年は、「亡くなった死刑執行人の跡を継ぐのなら

現世に留まることを許そう」とヨナに告げる。
処刑人としての生を歩み始めたヨナと、

身寄りのない咎人の少年を屋敷に招き面倒を見るアダム。
数多の死を間近で感じながら、二人は次第に

殺伐とした世界へと誘われていく。

キャラクター

アダム・ヴェラスケス

ヨナ・ローマン

ヨナの面倒を見る容姿端麗な青年。

常に柔らかな笑みを浮かべており、

大半の人間は彼の笑顔を見ると

信仰にも似た感情を得る。

が、ヨナには気味悪がられている。

アダムの計らいで死罪を免れ

死刑執行人となり、アダムの屋敷に

住むことになった少年。

生意気で少し口が悪い。

​長い前髪で目元を隠している。

ミカ・ドーベルマン

アダムの従者であり友人でもある

青年。常時気怠そうだが陽気で

面倒見がいい。

処刑人模造肉 肉(イラスト本)サンプル

ひょうし.png
あ5短髪.png
部屋7.png

処刑人模造肉 骨(小説)サンプル

 赤に浮かぶ少年と白い男

 少年の足元には肉が散らばっていた。
 まだ温かい、数刻前まで心臓から新鮮な血液が運ばれていたものたちだ。壊れた細胞から、あらゆる体液が吹き出したり泡立ったりしていた。
 室内が静かになって、外の音がよく聞こえるようになる。
 部屋の隅で白蟻が床を齧っているようなこんなあばら家では、あらゆるものを遮らず、あらゆるものを通してしまう。
 少年は呆然とカラスの鳴き声を聞いていた……あるいは聞こえていなかったかもしれないが、とにかく外の環境音がいやに目立つほどこの家はみすぼらしいところだった。
 しばらくすると数人の大人たちがあばら家に入ってきた。彼らはきっと、ここで肉として落ちているものの断末魔の叫びを聞いてやってきたのだろう。
 少年は微動だにせず壁を見つめていた。
 壁を見つめているのか、はたまたその先にあるであろう夕陽を見ているのか、大人たちには判断がつかなかった。血溜まりに浸かった少年を、大人たちも愕然と見たまま動くことができなかった。
 そんな中、遅れてやってきた一人の男が少年の視界を遮る。
 床が強く軋む音をたて、少年は我に返ったように一歩後ずさったが肉に足をとられて尻もちをついた。
「おやおや」
 男は全身白のスーツを着ていて、足元から少しずつ赤色に染まっていた。
 少年が倒れた衝撃で跳ねあがった水滴が、赤い斑点となってさらに数え切れないほどへばりつき滲む。全く気にしない様子で、倒れ込んで座ったままの少年の前で長い足を畳み顔を覗き込んだ。
 男はスーツのみならず、ふわふわとした長い髪も雪のように白かった。ただ、全身が白いのに目だけがこの血の海に近い色をしていた。目鼻立ちは血の気が引くほど美しく、彼の姿形はこの世で最もこの場にふさわしくないと目にした誰もが思っただろう。
「……ぼく? すごいねぇ、一人でやったのかい?」
「…………」
「死刑執行人の家系だった。人を死に導く専門家を全滅させるなんて、大したもんだよ。一体どんな執念があればこんなことができるのやら」
 男は口角を上げながら少年の頭を撫で始めた。人殺しの少年は思わず顔を歪ませ、大きな目を更に見開く。人を喋らない肉の塊にしておいて、褒められることの異常さだけは感覚的に理解したからだ。
 少年の反応に、男はさらに愉快げに微笑んだ。
「ぼうや。まだ生きていたいかい?」


 ヨナは自分が住んでいた部屋よりもずっと大きな部屋に通され、自分の背丈よりも高い鏡台の前で髪を執拗に撫でつけられていた。
 背後には鼻歌を歌いながらドライヤーを手に頭を撫でつける張本人……血に染まった少年を介抱した、白い男がいる。
 ヨナは未だに信じられなかった。今頃自分が在るべき場所は牢の中だと思っていたからだ。
 この家に着いたかと思えば風呂で返り血を跡形もなく流され、白地にシワひとつないシルクの服を頭から被せられた。今の彼を見た者は皆、彼を咎人とは微塵も思わないだろう。
 首の後ろに垂れた純白のリボンを結んでやった男は、得意げに鼻を鳴らしたあと「ようこそ、アダム・ヴェラスケスの屋敷へ」と言った。
 微妙に荒い手つきでヨナの頭はしきりに揺さぶられていたが、しばらく経って髪の水気が飛んだと分かるとアダムはドライヤーを下ろす。
 ヨナの長い前髪を目の端に追いやって整えるも、毛が細くサラサラすぎるためかすぐにまつ毛にかかってしまう。
「君の前髪は随分と長いんだね。切らないでいて不便ではない?」
 ヨナは答えなかったが、切らないという意思表示をするように鏡越しにアダムを睨んだ。
「まぁ、君が切らないでいいなら構わないよ。ところで」
 アダムは顔を少年の耳元に寄せて、心底嬉しそうな顔を作って笑う。
「改めて、僕の提案を受けてくれて本当にありがとう。君は明日の朝目覚めた瞬間から、死罪を免れる代わりに死刑執行人を継ぐことになる。これからよろしくね」
 そう言うと顎をヨナの肩に乗せ、小首を傾げながら軽くウィンクした。
 そんな仕草を怪訝な顔で見たあと、ヨナは肩を揺らしながら数時間前のことを想起する。

 あのときヨナが血の海にしたのは「死刑執行人の家庭」だった。
 四代続いた一族十数名を根絶やしにしたとして死罪になるはずであったが、居なくなった処刑人の穴を埋めるのであれば現世に留まることを許そうと提案されたのだ。
 ヨナはここに至るまで、ただの平凡な子供だった。ほんの数週間前、両親を処刑によって失うまでは。
 両親を処刑されその復讐から殺戮に手を染めたのだとしても、殺しの専門家である処刑人を一人残らず殲滅したヨナにアダムはただならぬ才覚を感じていた。
 そうして提案を受け入れたヨナを、アダムはそのまま自らの屋敷に連れ帰ったのだ。
「本来であれば君が殺した処刑人一家の家に住まわせるのが筋ではあるけど、自分が殺したご家庭に住まうなんてきっと容易く心が壊れてしまうもの。そこに張り付いた怨念たちも、いつ君を噛み殺してしまうか分かったものじゃない」と言いながら。
 
 アダムはヨナの脇の下に手を入れて持ち上げた。飼い猫を運ぶかのように、白く大きな天蓋付きのベッドの方へ歩いていく。ヨナは自分で歩けると主張するため足を思い切りブラブラさせたが、アダムは気にしない様子だった。
「この部屋は自由に使ってくれていい。部屋から出るのは構わないけど使用人が少しうるさいかもね。家から出るのは絶対ダメだよ」
 そう言ってヨナを布団の中に押し込み、最後にぐちゃっとシワのよった掛け布団をいい具合に整え傍にあった椅子に腰掛ける。
 鼻の上まで被った掛け布団から、ベッドの端に手をかけたアダムの目をヨナはじとっと見つめた。
「今日はいろいろあって大変だったよね。眠れなそうであれば、僕が子守唄を歌うけどどう?」
「……いらない」
「そう?」
 顔に笑みを浮かべたまま残念だ、とでも言うように大袈裟に肩をすくめて立ち上がる。
「おい……、お前」
「お前でもあるけど、僕はアダムだよ」
「……ア、アダム」
「何か気になることがある?」
 ヨナは分からないことがたくさんあった。だが、たくさんありすぎて何を聞けばいいか分からなくなっていた。
 もごもごと布団の中で口籠るヨナを見て、アダムは再度席に着く。
「急がないでいいよ。ゆっくり考えてごらん、僕はここに居るからね」
 そう言ったアダムは放っておけばいくらでも待ちそうな雰囲気だった。
 今のヨナは、傍に人がいて欲しい気持ちと一人になりたい気持ちで葛藤していた。
 出会ったばかりの、なんだか執拗に世話を焼いてくる不気味な男といるのも億劫だったが、一人になった途端あの時の鮮烈な記憶に心を焼かれてしまいそうな恐怖心が常にあったのだ。
 だから、やっとのことで一つ質問をした。二人でいる時間を少しだけ引き伸ばして、一人の時間を少しだけ減らそうと。
「なんで、親みたいに振る舞うんだ」
 そう聞くと、アダムは少しだけ口を開いて固まった。
「僕、そんな感じだった?」
 アダムは目を泳がせながら、彼のふわふわと跳ねた長い髪を後ろで何とか束ねているリボンを触る。
「明日言おうと思っていたけど、そう感じたなら今言うよ。君はこの部屋に住まうことになるけど、決して僕の家族になるわけじゃない。だから君は、名前を聞かれても今まで通りに名乗るんだよ」
 ヨナは、アダムと出会った時からこの男は本当に気味が悪いと思っていた。
 赤く染まった子供に動じず、咎めることもなくあやした。住む場所を提供し、風呂に入れ、頭を撫でた。だというのに、家族でないという。
「僕は君の親じゃない。もしも僕が君の親であるならば、君は今頃ここでも地獄でもない場所にいるはずだ。分かるね、ヨナ・ローマンくん」


 アダムが部屋を出ると、扉の真横に従者のミカが壁に寄りかかりながら眉をひそめて立っていた。
「あの子供の言う通りですよ。何故親のように接するんです」
「やっぱり聞いていたか。ミカ、心配性だなぁ」
「揶揄で濁せると思わないことです。血塗れで帰ってきたかと思えば……家に住まわせるだけでも大事だと言うのに、それ以上に目を疑いましたよ」
 ミカは生えかけの髭を指でさすりながら、体重をかけていた壁から反動をつけて起き上がる。
「あれじゃ本当に親子です。処刑人になった子供と親子ごっこしてるところなんか民共に見られたら、石。石とかフライパンとか硬いもん投げられますよ」
 アダムの前に立って凄むミカだったが、慣れていたのでアダムは動じなかった。
「ぼうやにも言ったけど、親の真似事をしているつもりはないよ。今の彼に親を真似るようなことをしても不快なだけさ。僕は彼を抱きしめたりキスをしたりはしていないだろう、ただ世話をしているだけだよ」
「ハグやキスだけが愛情表現だと思ってるならそれはそれでヤバイですけどね……俺には優しくしてるようにしか見えませんでしたけど」
 ミカは盗み見ていた時の光景を思い出しながら頭をかいた。アダムとは長い付き合いになるが、見知らぬ子供に対してあんな行動は見たことがなかった。まるで未発見の生き物を見つけ出してしまったかのような衝撃がミカにはあったのだ。
「じゃあこうしよう。彼は亡くし殺しで傷ついた、生きる選択をした彼は殺しでさらに傷つき続ける。なら、ここでくらい優しくしたっていいだろう? 処刑人として使えなくなってはいよいよ困るのだし」
「……まぁ、お前がそう言うなら俺は従うだけです」
 そう言ってミカはアダムのスーツに手をかける。
「だよね。さっすが僕の従者だね。ところで」
 アダムはスーツの袖から腕を抜きながら、少し声色を変えて話し始めた。
「何度も言ってるよね? 二人でいるときは敬語をやめなさいって。幼馴染に敬語を使われ続けるのって、けっこう寂しいよ」
「へェ、まぁ、お前はそう言いますけどね……」
 ミカはため息交じりにスーツをしわにならないよう折りたたみ、アダムと廊下を歩きだす。
「あの厳つい執事長やメイド共にたしなめられるのは俺なんですって。お前はどーせ知らんでしょ? あいつらのお小言の長さ!お前を寝付かせてから起きるまでとかもぉーザラですからね」
「いいじゃない、怒られたら。何度怒られたって僕以外に君を解雇できる者はいないんだから」
 アダムの返答に、ミカはさらに間延びしたため息をつく。
「そういう問題かよ……極端ですねー本当に。首になんないならもはや働かずダラダラしててもよくなるじゃないですかぁ?」
「僕はそれでもいいけど?」
「良いわけあるかい! お前が働いてんのに俺が働かなかったら意味不明だろ」
 アダムにはこういうところがあった。少し非常識というか、ミカに対して身内の甘さがあるだけではなく、奔放に考える傾向があった。そういった部分が常人には理解しがたく、民たちから神格化され崇拝される理由の一つだった。
 天使のようで、死神のようでもあるアダム。彼自身に権力や大局の決定権があるわけではないが、彼は権力者と民を繋ぎとめる楔のような役割をしていた。
 病を判断する者でなく、病名を伝える者。罪人の刑を決定する者ではなく、刑を申告する者。彼に申告された者は、まるで神の啓示のように受け入れるという。
「それもそうだね。明日からぼうやの教育もあって忙しくなるし、頑張ろっか」
「…………おー」
 話しながら歩いているとアダムの部屋の前に着いた。ミカが扉を開け、アダムに中へ入るよう促す。
「あ、そうだ」
「ん?」
「ミカ、明日朝僕が行く前に彼に挨拶しておいでよ。彼、けっこうかわいいんだ」
「……あいよ」
 それだけ言うとアダムは扉を閉めた。
「なんだよ、やっぱ結構気に入ってんじゃねえか」
 ミカは踵を返し、ネクタイを緩めながら自室に向かった。今日は事件が起きて夜も随分更けてしまったが、こういうとき住み込みだと楽だな、と考えるも一人になるとやはりあの光景を思い出してしまう。
「……一体どんな懐柔のされ方したらああなるんです? あれで親の自覚がないのは、お前にああいう経験がないからですか?」
 ミカのぼやきは誰に聞かれることもなく、虚空に溶けた。

 

 

 

 

 

 

“ウサギでも分かる斬首のコツ”

 仄暗いあばら家に立っていた。
 人の体液は肌にかかると生温かくて、いくらかの細胞を含んでか粘っこく纏わりついてきた。
 他人の血が染みた皮膚が徐々に痺れていくような感覚があり、それが脳髄まで届いていくようだった。頭の奥がビリビリする。膝が笑うし、音は随分遠くに聞こえるし、手は震えて感覚がない。
 逃げたくても逃げられないのか、逃げる気がないのか、自分の足なのに自分が動かせる気がしないのは自分が実は自分じゃないからか。そうだったら、どんなに良かったか。
 殺されたのが自分の親でなければ殺さなくて済んだのに。上手くいかなければ自分が死んで済んだのに。自分が殺さなくてよかったはずなのに。
 こうして生きていては何もかも上手くいかないのに、それでも生きる選択肢を選んでしまったのは、目の前に降りてきた天使のせいだろうか。
 だからか、天使が憎かった。


 ここではない何処かから扉を叩く音が聞こえる。
 そう思って目を覚ますと、「ここではない何処か」に居たのは自分自身であり、それが夢の中だったことに気づく。
 現実の扉からけたたましい音が聞こえていたが、夢見が悪かっただけにうるさいとは思わず、寧ろ助かったとヨナは思った。起きたての目を擦りながら膝くらいまでかかっていた布団を除け、足がつかない高さのベッドから降り立つ。
 まだ身体は至る所に鉛が吊るされているかのように重かったが、歩けないほどではなかった。返事をせずに扉を開けるとアダムではなく知らない髭の男が扉を叩いているところだった。
「うおっ! っと、無言で急に開ける奴があるか!」
 男の持っていたプレートの上で、食パンのバターが皿の外まで滑り落ち、ミルクが激しく波打つ。どうやら朝食を持ってきたようだ。
「……あんた誰だよ」
「おいおい、詫びの一言もなしかい。まぁガキだしいくら生意気でもいいけどよ、とりあえず朝飯持ってきたから食いな」
 男は何も置いていないテーブルにプレートを静かに置く。椅子を引いてヨナに座るよう促したあと、プレートに置いてあったフォークでバターを食パンの上にちょいちょいと戻し、自分も席に着いた。
「食いながら聞けな。俺はミカ・ドーベルマン。アダム様の従者だが幼馴染で友達みたいなもんだ。お前とは何かと顔合わせる機会もあんだろーし、困ったことがあったらミカ兄ちゃんに言っていいぞ?」
 親指を自分に向けて立てながら自己紹介するミカを見て、アダムと正反対だとヨナは思った。髭が生えている割に愛嬌のある顔立ちで、髪の色も金色なのがアダムに近い感じがしたが、態度はぶっきらぼうながら親しみがありアダムの優しさとは違うとっつきやすさがあると感じた。
「ふーん……分かった、おじさん」
「おじ……!? 俺アダムと二つしか変わらねえんだけど、ヒゲのせい?」
 遠巻きに鏡で自分の顔を確認しながらぼやくミカを尻目に、ヨナは食事に目をやった。昨日の朝から何も食べていなかったせいか腹の虫がうるさかったので、早く食事を与えようと勢いよく食べ出す。
「まぁおじさんでもじいさんでもじじいでもなんでもいいわ! 俺はな、お前が気になって気になってしょうがなかったんだ。あのアダムが! 見知らぬガキ一人に入れ込むなんてまー珍しい。今日はなんだ? 空から斧でも降ってくる日か? そりゃ木こりいらずだな!」
「ぷっ、何それ……」
 身振り手振りで大袈裟に表現するミカに、食べながら聞いていたヨナは思わず吹き出した。
「いや、そんだけ驚いたってことだ。なんたってヨナ、お前あいつの両親より大事にされてるぜ」
「そんなに?」
「あいつ仕事人間だからなぁ、家族とか全然構わない感じだったんだよ。なら仕事仲間ならどうか? 家族に比べたら接する機会も多いしまー楽しそうにはしてたがここまでじゃない。もしそうなら全滅した処刑一家にもそうじゃなきゃおかしいしな」
 ミカは机に少し身を乗り出して、眉を寄せながら頬杖をつく。
「ほーんと、何したらああなんだか。俺にはさっぱり見当もつかん」
「何もしてない……殺した以外」
 表情を曇らせたヨナを見て、ミカは狼狽えた。
「悪い、今こんな話したくないよな」
 二人の間に沈黙が落ちる。ミカはしばらく申し訳なさそうにしていたが、ヨナが変わらず食べ続けるのを見て次第に表情は緩んでいった。
「飯、美味いか?」
 ミカの問いかけに、ヨナは答えずに食べ続けた。
 しばらくして朝食を完食したヨナを見て、ミカは軽く微笑む。
「思ったより元気そうで良かったわ。そのうちアダム様が来る、髪くらいは自分で梳かしておけよ」
 そう言ってミカは空になったプレートを下げた。

 一人になったのも束の間、ミカが部屋を出てすぐにアダムが部屋にやってきた。
「おはようヨナ。いつもと違う枕で眠れた? 食事は口に合った?」
 目の前に来るや否やまた頭を撫でつけられる。それがまだ慣れなくて、ヨナは頭を勢いよく振った。
「撫でるなよ……眠れたし飯も食べた」
「そう、なら良かった」
 アダムはミカが座っていた椅子に腰かけて長い足を組んだ。昨日と同じ真っ白なスーツに身を包んでいたが、赤い斑点はどこにも見当たらなかった。
「早速だけど、君の食休みが済んだら出掛けたい。昨日も言った通り君は今日から死刑執行人として生きることになる……だけどね」
 手袋に包んだ左右の手の指を交互に組んで、アダムはその上に顎を乗せた。
「殺人と処刑は違う、君は処刑に関してはヒヨコですらない。だからまずは僕と一緒に勉強をしよう。幸い死刑執行というイベントはそう頻繁に行われるものでもなし、勉強する時間は十分に取れる」
「処刑の、勉強」
「そう。一緒に頑張ろうね」
 柔らかく微笑みながらそう言ったアダムは、持ってきたレザートランクを開き中から何冊か本を取り出した。
「見て見て。処刑人の家にあった本や日記を拝借してきたんだ。これは“処刑家訓”、こっちは“ウサギでも分かる斬首のコツ”。これがあれば素人の僕らだけでも勉強できるよ」
「ウサギ……? ウサギに斬首させんの?」
「君が死んでいたら、そうなっていたかもね」
 ヨナは処刑台がテーマパークのようになるところを想像して嫌な気分になった。“ウサギでも分かる斬首のコツ”は小さな子供が描いたみたいな絵の表紙で、タイトルさえ読まなければ普通の絵本のようにも見えた。
 が、中を開いてみると正に参考書のように文字が小さく、斬首の様子を印した挿絵はモノトーンでありながら妙に現実味があり、それを見たヨナはさらに嫌な気持ちになって本を閉じた。
「そうそう、処刑の練習の前に。今から言うことはこれから君が生きていく上での僕との約束」
 アダムは指を三本立てて、ヨナの前につき出した。
「君に守ってもらうことは三つだけだよ。ひとつ、僕に命じられた時、指定の場所・時間で死刑囚を処刑すること。ふたつ、死刑囚の罪状など個人情報を知ることは出来ない。みっつ、処刑がない間は僕の家で過ごし一人で外へ出ないこと。いいね?」
 ヨナは無言でゆっくりと頷いた。生きる道を選んでしまった以上、奇怪に思っていてもこの男に逆らう気はなかった。
「いい子だね」
「だから、撫でるなってば」
 アダムはすぐに手を伸ばそうとするので、ヨナも少し分かってきた。差し出された手を遮るように、頭を遠ざけながら手で制す。
 そうして重なった手を見て、ヨナはその大きさの違いに驚いた。アダムは線が細いので手も大きくはないだろうと思っていたが、子供の自分と比べると大きな差があったのだ。
 一人で驚いているヨナをよそに、アダムは思いついたようにクローゼットの方へと歩き出す。折り重なっていた手を握って、ヨナの手を引きながら。
「出かけるんだから着替えないとね。どれがいいかな、どれ着たい?」
「……血とかが目立たないやつ」
「なるほど。なら、やっぱり黒かな? 君の綺麗な黒髪とよく合うやつ」
 そう言って、一着の黒いシャツを取り出した。

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